NOVELS

熊のロックオン  1

NEIL / ALLELUAH 




★1

 吾輩は熊である。いや、正確には「熊のぬいぐるみ」だ。
 栗色の巻き毛に丸い瞳、丸い耳、小さな口。みじかい手足、丸い腹。まさに幼児体型。愛されるべき存在。
 名前はニール・ディランディ。またの名をロックオン・ストラトス。「踊って話せるぬいぐるみ」として、テレビに出ていた時の名前だ。芸能界にデビューするにあたり、いちおう公私を分ける意味で、実名はやめたほうがいい、ってことになった。最初はぴんとこなかったけど、今は結構気にいっている。
 名前をつけてくれたのはマネジャーのスメラギ・李・ノリエガ。彼女はまったくいい仕事をした。「生きているぬいぐるみ」のマネジャーなんて前代未聞の役割をそつなくこなした。
「芸能界は戦場よ。スターになるためには、戦術が必要なの。私は、あなたの戦術予報士ってわけ。私の言うとおりにしたら、勝利は間違いなしよ」
 その言葉どおり、俺は人気者になり、テレビコマーシャルを中心にかせぎまくった。
 だいぶ昔の話だから、覚えている人もあまりいないかもしれないけどな。


 俺の容姿は、ぞくにいう「テディべア」だ。大きさは幼稚園児くらい。目の色だけは、ティディベアと違って、碧翠色をしている。熟練した職人の手作りの一点もの。シリアル番号がわりに「ニール・ディランディ」の名が、腹の内側に縫い付けられていて、保証書に名前が記載されている。「ディランディ」の名を持つのは、ほかに俺の弟として作られた「ライル」がいる。作者の気まぐれで、蒼い眼の熊は俺たちだけだった。ライルは、まだ工房のショーケースに入ったままのはずだ。魂がやどったのは俺だけだから。
 ある日、突然に俺に魂が宿り、話したり歩いたりすることができるようになった。「なぜ、そうなったか」という質問には俺はいつも「アレルヤが願ったから」と答えている。

 アレルヤ・ハプティズム。
 俺の無二の親友だ。初めてあったのは、アレルヤが10歳の時だ。彼との出会いが俺の運命を変えた。彼は俺をショーケースから選び、家に連れて帰った。その頃の俺は話せる言葉はただ一つだけだった。
『アレルヤ、大好き』
 ボタンを押すとただ一言。ばかみたいな甘ったるい声で、ただそれだけ。
 10歳の男の子の誕生日プレゼントとしては、いささか幼い趣味だが、彼は気にしなかった。アレルヤは俺を好きになってくれ、「ただ一人の友達」と呼んだ。
 毎晩一緒のベッドで眠り、雷の鳴る夜にはシーツにくるまって震えてた。おまけに、神様にお祈りまでしてくれた。「どうぞ、ニールに雷を落とさないでください。ついでに僕にも」って。
 生命を得た俺のことを「神に愛でられし存在」って言う人もいたが、それは違う。俺に命が宿ったのは、俺のせいじゃなくて、アレルヤが神様に愛されてるってことだ。
 神様に愛されているはずのアレルヤに友達がいないってのは変な話かもしれないが、世の中そんなものだ。
 アレルヤにはハレルヤという双子の弟がいる。この弟のほうが世渡りがうまくて、優秀だ。運動神経も勉強もハレルヤのほうが上。精神的にも大人だった。アレルヤが雷が怖くてベッドで泣いている時、ハレルヤは、パソコンにダウンロードしたエロサイトのデータが飛ばないようにバックアップを取っていた。
 10歳になったアレルヤとハレルヤは部屋を別にした。勉強のじゃまになるからっていう理由だそうだけど、両親はアレルヤがハレルヤのおもちゃにならないように気を使ったのかもしれない。ハレルヤはせいせいしたようだったが、アレルヤは寂しくて俺を買ってもらったのだ。
 その時のことを俺は覚えていない。テディベア専門店の奥に飾られていた俺をアレルヤが選んだのだ。理由を聞くと「ドンマイ」って、笑うばかりで教えてくれない。彼は頭はいいはずなのだが、時々、言葉の選び方が変なのだ。こういうのを天然っていうんだろうか。
 アレルヤは、俺を可愛がった。こっそりと俺に歌を歌ってくれた。ふたりで作った『世界は悪意に満ちている』を、マネジャーのミス・スメラギに披露したら、「歌のユニットを組むのはやめましょうね」って、あっさり言われた。だから、トークショーのOPの歌は俺じゃない。ダミーだ。
 
 幸せな時間は長くは続かず、一二歳の時、ハプティズム夫妻が事故で亡くなった。アレルヤとハレルヤは親戚の家に預けられることになった。
 セルゲイ・スミルノフという父親の遠縁の家だった。セルゲイは顔に傷のある無口な男で、アンドレイという息子とソーマとマリーという双子の娘がいた。アンドレイは実子だが、ソーマとマリーは養子だった。上級公務員で、裕福な暮らしをしていたが、転勤が多いので官舎に住んでいた。
 俺が「生きているぬいぐるみ」であることは、秘密にしていたし、俺はアレルヤと一緒にいられればよかったのだが、秘密なんてものが守られたためしはなく、噂はあっと言う間に広まり、テレビのワイドショーで注目され、取材を受けているうちにバラエティ番組の出演者になっていた。
「幼児体型のくせに親父ギャグ連発のギャップに萌える」なんて言われて人気が出て、エロカワテディなんていうキャッチが付き、コメントが受けてコメンテーターとして番組出演するようになった。そうなると勢いがついてぬいぐるみの姿に眼をつけた洗剤メーカーがスポンサーになり、トーク番組を持つようになるのに、時間はそうかからなかった。
 ぬいぐるみとして生まれた以上、俺は「愛玩」されることに抵抗はなく、注目を浴びることに慣れて、あたりまえのように「仕事」をするようになっていった。
「『ロックオン・ストラトス』ってかっこいいね」
「ああ。視聴率が成層圏を突き抜けるほど伸びますようにってな」
 アレルヤは俺の二つ名をほめてくれ、俺のことを「ロックオン」と呼ぶようになった。
「ねえ、ロックオン。僕とハレルヤは寄宿学校に行くことになったよ」
 アレルヤから電話があった時、俺は番組の収録中だった。スケジュールに追われ、俺は月のうち数日しか家に帰ることがなくなっていた。その時の電話も久しぶりだった。とっさに「ああ。了解だ」と返事をしたものの、その意味に思い至るまで少し時間がかかった。
 最初に思い浮かんだのは、アレルヤの銀灰の瞳だった。ハレルヤと区別するために髪の分け目を変えているが、そんなことをしなくても、ふたりの見分けはすぐについた。アレルヤはいつも控えめで形のよい眉が自信なさげに下がって愁いを帯びた眼差しをしている。対してハレルヤは、金の瞳にいつも鋭い光を湛え、敵対する者の喉笛にいつでも噛みつけるように犬歯が生えていた。
 この間電話した時、今住んでいる家が手狭になったという話をしていた。官舎だから、間数は多くない。子供部屋は三室あったが、アンドレイが一部屋、ソーマとマリーで一部屋、アレルヤとハレルヤで一部屋を使っていた。そこに俺もいたのだが、仕事が忙しくなると帰宅時間が不規則になるので、ホテルに泊まることも多くなっていた。
 お堅い公務員のセルゲイが、それを快く思っていないことは、うすうす気がついていた。それもあって俺は家を出ることにしたのだ。
「セルゲイさんとうまくいってないのか」
 仕事が終わったあと、電話をかけ直してそう尋ねると、電話の向こうでほんの少し、息を飲む雰囲気がした。
「違うよ・・・。ハレルヤと僕は学校の奨学金に受かったんだ」
 ハプティズム夫妻は、息子達のために充分な資金を残したとは言えなかった。事故の過失はアレルヤの父にあり、相手の損害を補償するのが精いっぱいだった。もとより裕福ではなく、アレルヤとハレルヤが施設に入らずに済んだのは、セルゲイの純粋な好意だ。
「今入れば、大学まで行けるんだ」アレルヤが告げたのは、ここから離れた都市の学校名だった。「奨学金だから、卒業したら返還しなきゃならないけど」
 養ってもらううえに、学費までは出してもらえない。アレルヤとハレルヤはそう考えたのだろう。
「俺が部屋を借りるから、そこで一緒に住めばいいだろ。それまで待ってろよ」
 多少有名になった俺は、それなりの収入がある。部屋を借りるくらいはできるだろう。ぬいぐるみに部屋を貸す不動産屋があればだが。まあ、そのへんはミス・スメラギがうまくやるだろう。
「セルゲイ叔父さんは転勤が決まったんだ。1か月後には赴任しなくちゃならないんだ。それにね、僕たちだけで生活するのはダメだって」
 アレルヤの淡々とした口調からは、俺と住むプランなんて、最初から考えてないのがありありだった。ずいぶんと諦めがいいじゃねえか。
「まったく石頭だよな。セルゲイさんは。よし、俺が直接交渉してやるよ」
 そうして、数か月ぶりに俺は家に帰った。


                             2に続く    2013/12/11