NOVELS

熊のロックオン  2

NEIL / ALLELUAH 




2★

 正直に言うとセルゲイ・スミルノフの家を俺は「家」だと思ったことはなかった。俺とアレルヤとハレルヤは寄宿人で、セルゲイは大家であるという感覚だ。
 俺はドアを開けるなり、形式ばった挨拶をアンドレイと双子の娘たちにすると、すぐにアレルヤを二階の部屋にひっぱりこんだ。
「なあ、どうして俺と一緒に住むのはだめなんだよ」
 ろくにただいまも言わず、問い詰めた俺に、
「だって僕たちまだ子供だもの」
 そう言って、アレルヤは笑った。
 表向きはセルゲイの意向ということだが、決めたのはアレルヤとハレルヤだった。
 セルゲイ・スミルノフは栄転で勤務地が変わることになった。ソーマとマリーは一緒に行くことを希望したが、アンドレイは一人で生活することを選んだ。それでアレルヤとハレルヤもセルゲイの元を離れる気になったらしい。
 子供たちだけで生活することにセルゲイは反対した。それで、ふたりは寮のある学校を探し、奨学金に応募し、みごとに合格したわけだ。
俺だけが何も知らされず、すべてが決まった今となっては、何を言っても遅かった。
 子供だけって・・・。俺といると遊んでばかりというわけか。
「俺はこう見えても、お前より5歳年上だ。そのうえ、稼ぎもある」
 これはほんとうだ。俺が作られたのはアレルヤが生まれる5年前。製造タグにそう書いてあったから間違いない。アレルヤが俺を見つけるまで、店の奥の棚でひっそりと座っていたのだ。その時の記憶なんてないけど。兄弟としてつくられたぬいぐるみと並んでいたという。
 ベッドに並んで座ると、アレルヤのすんなりとした足は床につくが、俺のは短くてぶらぶらした。アレルヤはそれを静かに眺めていた。
「だからだよ。ニールは『ロックオン・ストラトス』として働いているのだから、邪魔しちゃだめだって」
 セルゲイ・スミルノフは、理不尽なことは言わない男だ。
「邪魔だなんて!」俺は、丸い耳をアレルヤにこすりつけた。「俺、アレルヤと一緒にいたら、もっと働くぜ!」
 アレルヤは、俺の顎の下に手をいれて、俺を上向かせた。銀灰の瞳が潤んでいる。
「でも・・・ロックオン、今だって忙しそうで、顔色悪いじゃないか」
 その涙に、俺の胸がチクリと疼いた。
 たしかに人気の出てきた俺はCMや雑誌のインタビュー、グラビア撮影と多忙を極めていた。しかし、顔色が悪いのはそのせいじゃない。もとよりテディベアなのだ。栗色の毛なのだ。顔色なんてわかるはずもない。ただ、表面が薄汚れてごわつき、碧の瞳が濁っていた。
 洗剤にはじまり、お菓子や子供服のCMに出て、芸能人のはしくれとなった俺には、ストレスも多い。身体というより気持ちが疲れているのだ。その証拠に、こうしてアレルヤのそばにいれば、血の通わない身体が、ぽっとあったかくなる。いろんな穢れが浄化される気がする。
「それにね、ハレルヤが反対なんだ。僕たちは僕たちだけで生きていく方法を考えようって」
 俺は金色の瞳を思い浮かべた。ハレルヤは、アレルヤだけが大事で、ほかは邪魔だと思っている。もとよりセルゲイと馬が合わない。いい機会とばかりに俺には何の相談もなく、アレルヤとふたりだけの生活をする計画をたてたのだ。むかついて、鼻の穴が広がった。アレルヤに身体を寄せると、細い腕が回ってきて俺を抱きしめた。
「ごめんね。相談しなくて。・・・でも、心配かけたくなかったんだ」
 落ちたらカッコ悪いしね、とアレルヤは笑った。できのいいハレルヤと同じ学校に行くためにアレルヤは、どれだけがんばったんだろう。一生懸命だったに違いない。外で遊ぶこともせず、好きな本を読む時間を削って、勉強したんだろう。アレルヤの足は、陽に当たらないせいだろう白くてほっそりしていた。
「お前さんがいいなら、俺には文句はねえよ。お祝いを言うぜ。でも、マリーとソーマは寂しがるだろうな」
「そうでもないよ」
 アレルヤは、セルゲイや双子の姉妹になついていて、ここを本当の家同様に思っていつも部屋を綺麗にしていた。
 細い指先が俺の腹をまさぐった。硬いところを探しあてると、プチって押した。
『アレルヤ。大好き』
 録音された声。抑用のない機械の声。それなのに、アレルヤはこの声が好きだった。落ち込んでいる時、泣きそうな時、いつも押す。彼が押す時もあるし、俺が押す時もある。
 納得して新しい生活を選んだものの、不安なのだろう。ハレルヤがいても、俺を頼りにしてくれるのだ。
 互いの身体に腕を回したまま、俺たちは抱き合っていた。互いの体温が交換されて、少しゆるい気持ちになって来た頃、ドアがノックされ、金の瞳が覗いた。
「おい。アレルヤ。夕飯前に風呂入ろうぜ。引っ越しの荷造りで、ほこりだらけだ」
 ドアの隙間からのぞいた金の瞳は、俺とアレルヤを見ると、細く眇められたが、それだけだった。
「うん。わかった」
 アレルヤは、長い睫毛を濡らしたまま、ハレルヤに従って階下に降りて行った。
「よいしょっと」
 俺は、足を伸ばして床に着地した。
 この家に来た頃、ベッドに座るとアレルヤの足は床につかなかった。俺はいつも先におりて、手をひいてやった。アレルヤが俺の手を借りずにベッドから降りられるようになったのはいつからだろうか。
 段ボールが並べて置かれた子供部屋は、それだけで急に殺風景になっていた。俺がいない間にも、時間は流れていたのだと気づかされる。
俺は足音がしないように階段を降り、外に出た。


 スミルノフ家には小さいながら庭があり、白いフェンスが街灯に白く浮かんでいた。甘い花の香りがしていた。ジャスミンかもしれない。アレルヤと違って俺はあまりそういうのに興味はない。家からを見えない暗がりに立ち、腹のポケットから出したものを咥えた。
「一服するのかね」
 その声は、叱責以外の何物でもなかった。俺は、あわてて咥えていたものを足元に落とすと踏み潰つぶした。
「セルゲイ・スミルノフ」
 白髪交じりの髪をした男を俺は見上げた。仕事では「ロシアの荒熊」と呼ばれているという噂通り、体格がよく、人を畏怖させる声をしていた。彼は、ゆっくりと近づいてきて俺を見下ろした。
「私の家では、そういうものは止めて貰おう」
「いや、ちょっと煙草ですよ。たんなる・・・ほんの・・・」
俺は言い訳しようとしたが、上ずった声と俺の足元に落ちているものから、セルゲイがそれを煙草とは思っていないことが、バレバレなので、途中でやめた。いまさらどう言い訳したところで、それは煙草じゃなくてドラッグだ。軽いはっぱだが、ドラッグには違いない。
「ニール。君は大人とは言い難いが、『ロックオン・ストラトス』として活躍している。その君に、私は何も言うつもりはない。だが、アレルヤの友人とは認めたくない。アレルヤに近づかないでもらいたいものだな」
 俺は何も言い返せなかった。
 言いたいことはたくさんあった。
 セルゲイ・スミルノフは、イレギュラーが嫌いだった。だから俺みたいのは得体がしれないから嫌いなのだ。その彼が、俺の芸能活動をするのを認めてくれ、自分の後輩であるスメラギ・李・ノリエガを紹介してくれた裏には何かあると思っていたが、なんのことはない。俺がアレルヤたちと距離を置かざるを得ない状況を作ろうとしていただけだ。
 セルゲイが子供たちを囲い込んで置きたい理由は、彼の息子にある。幼い頃に母親をなくしたアンドレイと、セルゲイはうまく付き合えないでいた。彼は「父親失格」の烙印を押されないように「いい父親」を演じていた。保護者はひとりでいいのだ。俺はそれに気が付いていた。ほんとうは、息子のアンドレイとうまく行かないから、代わりにマリーとソーマを可愛がってるんだろうとか、アレルヤとハレルヤを引き取ったのも、慈悲深い自分に酔っているからなんだろうとか、言いたかった。
「親でもないあんたに、そんなことを言う権利あんのかよ」
 言いながら俺は唇を噛んだ。
 ドラッグなどやっている熊がアレルヤにふさわしいはずがなかった。
 なら、どうしてそんなものをする必要があるのか。必要なんてない。ただ、流されただけだ。いろいろな刺激。酒、女、そしてドラッグ。
 芸能界ってのは、金と欲のうず巻くところで、ストレスも大きかった。俺は酒と煙草を覚え、ドラッグを覚えた。ぬいぐるみに内蔵なんてもんはなく、グルメに走れないぶん、そっちにいってしまった。
 そもそもぬいぐるみだから、人並みの年齢制限はなく、人を裁く法律も適用されず、俺は野放し状態だった。
「でもさあ、あんた生きてるって言ったって、ご飯も食べられないし、なにより●●●ついてないじゃん」
 口の悪い女たちは、俺をベッドにつれこんでおいて、そう言った。
 そうなのだ。
 俺が人と違うところはたくさんあるが、なにより残念なのは、●●●がないことだった。
 ぬいぐるみだからあたりまえだ。
「君がその悪癖をやめることができたなら、ニール。いつでもきてくれたまえ。歓迎する」
 セルゲイ・スミルノフはそう言って屋内に入った。
 俺は腹の底が冷たくなった。綿しか入っていないというのに。

 



                             3に続く    2013/12/11