NOVELS


南の魚 1



 武力介入前夜。

 トレミークルーとバックアップスタッフとの合同ミーティングの後、カリブ海での休暇が提案され

た。定期的に地上に降りることは、宇宙での任務に就いている者の健康管理には欠かせないことだ。

 武力介入が本格的に行われるようになれば、長期の休暇を取ることなどできないだろう。だから今

のうちに、ということなのだろうが、クルージングとバーベキューっていう企画はどうなんだろうか。
 
 アレルヤ・ハプティズムはため息をついた。

 こういうことを企画するのは、クリスティナかリヒテンダールと相場が決まっていて、今回は極上の

ラム酒につられて、スメラギ・李・ノリエガがOKを出したというところだ。

 王留美の手配で、プライベートビーチに豪華クルーザーとお膳立ても整った。

 たしかに、マイスターをはじめトレミーのクルーには、息抜きが必要だった。ティエリアまでが付き

合っているのも、そのあたりを配慮してのことだろう。協調性の欠如に関しては折り紙つきのティエリ

アが参加するのでは、アレルヤが欠席したいとは言えるはずもなかった。

 別にこのイベントに異議があるわけではない。ただ、ちょっと集団行動が億劫なだけだ。アレルヤ

は、ケータリングの設営を手伝うというのを口実に、クルーから一人離れて、ビーチを眺めていた。

 ティエリアはスメラギと二人で、パラソルの下のデッキチェアに寝そべっている。

 その向こうには、ビーチバレーらしきゲームに興じている一団がいた。

 アレルヤの視線は、自然と一人に集中してしまう。

 波打ち際で、リヒティやクリス、フェルトと一緒に水を掛け合ってはしゃぐロックオン。
 
 柔らかく波打つ栗色の髪、ほどよく筋肉の付いた胴、長い腕、健やかな腿。

 波しぶきがきらきらと反射して、王冠のように彼に纏わる。強い日差しに、白い肌がほんのりと赤く

なっていた。

 (王子様っていうのは、絵本の中にしかいないと思っていたよ、ハレルヤ)
 
 しかし、半身はそうは思わないらしく、盛大なブーイングが頭の中に響いた。

「楽しそうだな」

 声に振り返ると、刹那がすぐ横にいた。海から上がったばかりらしく、髪が濡れている。

「そうだね。君は参加しないの?」

「泳いだからもういい。ここは俺が見ているから、お前こそ参加してこい、アレルヤ・ハプティズ

ム。ずいぶんと熱心に見ていた」

 刹那がすぐ横にくるまで、気配に気がつかないほど見入っていたのかと頬に血が上った。ハレルヤ

との脳内会議を言葉に出していなかっただろうか。
 
 照れ隠しにカレーの鍋をかきまぜる。

「もう、出来ているからね。焦げ付かないように気をつけて。僕も泳いでこようかな」

 特等席を離れるのは、心残りだったが仕方がない。

 明るい声に背を向けて、浜辺を歩き始めた。




 ミーティングの少し前。キュリオスとデュナメスの合同シミュレーションで、アレルヤはロックオン

から叱責された。

 理由は、他でもない成績の不振だ。

 作戦行動において、索敵と陽動は申し分ないのに迎撃時のポイントが格段に下がる。それをロックオ

ンは、アレルヤの「怠慢」と決め付けた。

 できないのではない。やらないのだ、と。

 その指摘は当たっている。だから何も言えない。

 戦争の根絶を謳いながら、その実、人を殺す技術を磨く、その矛盾にアレルヤは苛立っていた。

 人の命を救う存在になりたいが、生き残りたいわけではない。だから身が入らなかった。

「バックアップを信頼してくれるのは嬉しいが、もう少し的中率をあげろ・・・」

 ヘルメットを小脇に抱え、栗色の髪をかきあげたロックオンの表情は硬かった。いつもは、柔和な光

をたたえている目が鋭い。珍しいロックオンの小言が、アレルヤを心配しているからだとわかっている

のに、それを素直に受け入れることができなかった。

「実戦になれば、それなりの成果を上げます」

 威圧感と悪印象を与えるとわかっていて、銀灰の瞳を眇め、見返す。しかし、翡翠の瞳になんなくそ

の視線を受け止められて、先に目を逸らしたのはアレルヤのほうだ。

「実戦は、そんなに甘いもんじゃない」
 
 冷静な指摘に、苛立ちが腹の底から湧きあがる。今日は反抗的な態度をやめることができない。

「それで僕が死んだら、替わりがきますよ。ラッセが乗ったっていい」
 
 ロックオンの口元が歪むのと、パンという小気味のよい音がしたのが同時だった。

頬が熱くなって、平手打ちされたのだとわかった。手にしていたヘルメットが床に落ちて、乾いた音を

立てる。スメラギやイアンの驚いた顔が視界の端を過った。

「そんな中途半端な気持ちでやっていたら、お前、本当に死ぬぞ」

 ヘルメットを取り上げようとかがんだ頭の上から、ロックオンの怒った声がした。単純な怒りの他

に、哀しみと蔑みの混じった声。
 
 その声に反論したいのに何も言えなかった。言葉にならない感情があふれてきて息がつまる。どくど

くと頭の中に動悸が響く。ハレルヤと交替するのとは違う感覚にパニックした。
 
 ロックオンの視線を無視して立ち上がる時、床に小さな染みができるのを見た。

 それが、自分の涙だと気がついたのは、背を向けて歩き始めてからだ。

 頬を濡らす生温い液体の意味が分からなかった。

 痛みを感じるほどの強さで打たれたわけではない。殴られたのが初めてなわけでもない。

 自分でもコントロールできない感情に混乱する。
 
 背後から、声が聞こえたけれど、応じなかった。

 ただ、ロックオンの前にいたくなかった。

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