NOVELS


雨 2 


 
※2

 「いってらっしゃい」
 右と左の頬にキスをして、それから朝にしては濃厚なキスを唇にして、ロックオンは出勤していっ

た。玄関先でふざけていたので少し遅刻気味なのか、早足で駅に向かった。後ろ姿を見送ると、僕は

箒を取って、外の掃除を始めた。

 妻である僕の役割は主に家の管理だ。掃除、洗濯、炊事だけではない。ごみ出しに買い物、近所付

き合いもある。

「おはよう」

「おはようございます。・・・モナミ、おはよう。今日もかわいいね」

 犬を連れたお隣さんに挨拶をする。マルチーズに挨拶をするのも忘れない。「モナミ」は犬の名前

だ。フランス語で「友達」というのだと教えてくれた。お隣のおじいさんは、今のところ唯一の顔見

しりだ。表札が出ていないので、名前は知らない。彼も僕たちの名前は知らないようだ。あえて互い

の名を聞いたりしない。その距離感が、僕には心地よかった。

 モナミが僕の脚にまつわりついて、撫でろと催促する。白い毛並みを撫でてやる。

「いつもきれいにして感心だのう」

「掃除は僕の仕事ですから」

「お宅のご主人は、駅前にお勤めかな?」

 ご主人という言い方に、僕はどきりとする。

「いいえ。シティの中央まで行ってますけど」

「そうかい。この間、似た人を駅前で見かけたんでな。声をかけたが返事がなかったんじゃ。もしか

したら、人間違いだったのかのう」

 足元でキャンとモナミが声を上げる。

「そうじゃ。こいつも違うと言うておった。スーツではなかったしの」

「・・・彼は、いつもスーツですから」

 ロックオンのことを人前でなんて呼んでいいのか、迷ってしまい、僕は思わず赤くなってしまう。

おじいさんはロックオンのことを「ご主人」って呼ぶけど、僕には無理だ。

「いい男だからのう。・・・あんたのエプロン姿もなかなかだがの」

 僕の顔色に気がついたおじいさんが、ニヤニヤする。僕は、うっかりエプロンを外さずに外に出た

ことに気がついた。フリルのついた白いエプロンは、ロックオンが買ってきたものだ。『新婚の必須

アイテム』とかで、家の中では着用を義務付けられている。エプロンとは服を汚さないためのものだ

と思っていたけど、違う使用法もあるのだと知ったばかりだ。

「いえ・・・これは・・・その」

 赤くなるばかりの僕の足元で、モナミが吠える。撫でられるのに飽きて、散歩の続きをしようと催

促しているのだ。

 おじいさんは、小さな犬に連れられて散歩に行ってしまう。僕は、隣の家の前まで掃き掃除をして

しまうと、家の中に入った。

 古い家の中は薄暗く、しんとしている。黒光りする廊下を裸足で歩く。キッチンの床も古い木で出

来ている。片隅に明日出す予定の古紙が積んである。新聞紙にチラシ、包装紙。駅前のアイリッシュ

パブのチラシ。ギネスとプリンの包装紙が数枚。

 僕は和室に行くと、エプロンを外し、畳の上に寝そべった。藺草の上にうつ伏せになって手足を伸

ばす。疲れたからではない。僕は時々こうして周囲の様子を窺う。道を行く人のお喋り、車の音。学

校に行く子供たちの声。風にそよぐ木々の葉ずれ。道や庭に咲く花の香り、ご近所の料理の匂い。宇

宙にはない音、風、匂い。できるだけ、いろいろな物を知りたい。地上のこと、世界のこと、人々の

日常、ロックオンのこと。

 この部屋は、まだ掃除をしていない。僕は脳量子波を使ってみる。うっすらと僕とロックオンの痕

跡を感知する。栗色の髪と僕の黒い髪が落ちている。

 向こうのほうから、足音がした。お隣のおじいさんのではない。歩幅からすると若い男だ。ゆっく

りとした歩調は、何かを探しているのかもしれない。靴は、皮靴ではない。砂利を踏む音からスニー

カーでもない、ラバーソウルのブーツ。

 足音が、家の前で止まった。僕たちの家は、表札もインターホンもない。ポストもない。用事のあ

る人間は、玄関の硝子戸を叩くか、声をかけるしかない。

 僕は、訪問者の声を待った。

 声は無く、カチリと金属質の音。オイルと煙草の匂い。ゆっくりと時間が過ぎていく。普通の紙巻

き煙草が一本灰になるくらいの沈黙。

 再び足音がする。遠去って行く歩みは、さっきよりは早い。でも、途中で振り返った。そして、歩

き始めた。

 僕は、起き上がると、廊下を歩き、ゆっくりと玄関の鍵を開けた。硝子戸を引き開け、外に出る。

門代わりの生垣を一歩出る。

 あたりにはすでに人影はなかった。認識できるほどの足跡はない。べつに痕跡を残すのを避けたわ

けではないのだろう。煙草の吸殻が落ちていた。ありふれた銘柄だ。僕はそれを拾い上げると、家の

中に戻った。



 夕方、雨が降り出したので僕はロックオンを駅まで迎えに行った。彼が駅に着く時間に家を出たの

で、途中であうことになった。

「ロックオン」

「駅に着いたら、降ってきたんだ。ついてねえ」

 傘を持たない彼は、俄か雨のなか走っていた。長いストライドで走る足音に気がついて、僕は傘を

持って途中で待った。この季節、東京の雨は、霧のように細かくて、すぐには濡れないが、傘をさし

ていてもあまり意味がない。長くさらされれば濡れてしまう。それでも、僕は迎えに行きたかった。

「迎えにくるなんて、気が利いてるな。アレルヤ」

 ロックオンは僕が持って来た傘は差さずに、僕の傘に一緒に入ると腕を絡めた。

「連絡くれたら、到着時間に合わせて駅まで迎えに行ったのに」

「まあな。このくらいの雨なら濡れてもかまわないかな、と」

「アイリッシュパブで一杯飲んでればよかったのに」

「今日は休みなんだよ」

「じゃあ、お土産はなし?」

「アレルヤ。お前、俺じゃなく、プリンを迎えに来たのか?」

「うん」

 僕が頷くと、ロックオンは立ち止まって左手に傘を握り、右手で僕を抱き寄せて、いきなりキスを

した。唇を触れ合うだけでなく、舌を絡めての大人のキスだ。雨とはいえ、夕方の路上には人通りが

ある。傘に隠れていても気がつく人がいるかもしれない。

 濃厚なキスにくらりと目が回りそうになった僕を脇から抱き抱えるようにして、ロックオンは、早

足で歩き始めた。

「ロックオン。怒ったのかい? 冗談だよ。僕、ロックオンを迎えにきたんだよ」

 引きずられるようにして、僕はロックオンと歩調を合わせる。

「わかってるって。・・・なんかもう、アレルヤ、可愛すぎ。押し倒したくなった」

 彼の白い頬がほんのりと染まっているのは、走ってきたせいだろうか。濡れた髪が艶めいている。

「夜目。遠目。傘の内」

「何それ?」

「美人に見えるシチュエーションだよ」

「そんな条件なくても、お前は充分美人だ」

 結局、傘はあまり役に立たなくて、僕たちは濡れて帰った。

 濡れたスーツを皺にならないようにハンガーにかける。かすかに煙草とコロンの匂いがした。ロッ

クオンは、煙草を吸わない。人の印象に残るようなコロンもつけない。仕事で会った人のものだろう

か。
 寝室のドアの向こうから、ハロを使って通信をしているロックオンの声がした。端末ではないか

ら、スメラギさんではなさそうだった。

「・・・そういうわけで、順調とは言えねえな。期待しないでくれ・・・。悪いが、成果が上がらな

くても、帰還させてもらう。・・・今更、気持ちは変わらねえよ。疑うなら、最初から俺を巻き込む

な」

 ロックオンが通信を切り、溜息をつくのが聞こえた。ハロが「ロックオン・・・モウヒトリ・・・

モウヒトリ」と言う。スリープモードにされたのか、それ以上は聞こえなかった。

 僕には、ハロの「モウヒトリ」というのは、「さらに一人」と言う意味なのか「独りになってしま

った」なのかは分からなかった。

 僕には知らされていないミッションの内容が、ロックオンにとって気が重いものらしいのが気がか

りだった。

 僕はエプロンをして、食事の支度をしながら、自分に与えられた役割について考えていた。

 ロックオンは、特にジャガイモが好きで、なにかしらのイモ料理があるとそれだけで嬉しそうな

顔をした。家庭料理を知らない僕は、レシピを見ながらその通りに作るだけなのだが、彼はいつもほ

めてくれた。

「刹那やティエリアじゃあ、こうはいかねえ」

 初日にそう言われた時は、彼が僕をミッションのパートナーに選んだのは、料理ができて、家事が

出来そうだったからかと思った。僕は、彼の役にたてればそれで満足だったので問題はない。

 入籍した日に、白いエプロンを買ってもらった。

「僕、お料理がんばりますね!」

 僕の決意表明に、ロックオンは、にっこりと笑うと、片目をつぶった。

「アレルヤ。エプロン、似合うなあ」

 キッチンのカウンターに僕を座らせると、ロックオンは上から下まで、舐めるように見まわした。

「料理より、俺はアレルヤが食いたい」

 薄いエプロンの上から、ロックオンは僕を撫でまわし、時間をかけてゆっくりと楽しんだ。白いフ

リルのエプロンは、僕とロックオンのもので汚れてくしゃくしゃになってしまった。

 僕はそれが悲しくて、翌日、洗ってアイロンをかけた。それに気がついたロックオンは、料理用に

普通のエプロンを買ってくれた。ロックオンには内緒にしているが、僕のお気に入りはフリルのほう

だ。

「料理より、アレルヤ」と言ってくれたのが、嬉しかった。



「アレルヤ! お前・・・」

 ハロを抱いて、キッチンに来たロックオンは、ぽかんと口を開けた。

「ねえ、ロックオン。ご飯にする? お風呂にする? それとも僕?」

 僕は、エプロンの端を持って、立っているのが精いっぱいだった。目をつぶっても恥ずかしさに脚

が震えた。
 僕はエプロンしか身につけていなかった。どう見ても、おかしな格好だ。広い肩幅にフリル、胸当

てに乳首が透けていて、裾は短くて、股間を隠すのがせいいっぱいで、ふとももが剥き出しだ。女の

子のまろやかな身体ではなくて、筋肉質の男の身体なのだ。「いったい何の冗談だい」と、笑われる

に決まっている。新妻と言ったって、何を勘違いしてるんだ、と呆れられてしまうのではないかと不

安になった。

 ゴトン、と音がして、それからふわりと抱きあげられた。

「決まってる。まず、アレルヤ。それから風呂。飯は最後」

 ロックオンは、僕を抱いたまま寝室に行くと、ベッドの上に僕を降ろした。上から僕を見降ろしな

がら、手早く服を脱ぎ捨てる。彼の腕や、筋肉のついた長い脚が、あらわになっていくのから、僕は

目を離すことができなかった。

「いつの間に、そんなふうに俺を誘うようになった?」

 少し怒っているのかとも思える口調だったので、僕は心配になった。

「ロックオン。僕、間違った?」

「いいや。お前は俺が思っているとおりのことをしてくれる・・・」

 向き合って胸を合わせるように抱き合う。翡翠の瞳に吸い込まれそうで、僕は目を閉じるのも忘れ

て、彼を見つめる。唇で唇を迎えるように触れ合って、指を絡めて手を握ってキスをした。

「愛してる。アレルヤ」

「僕も、ロックオンが好き」

 ぴったりと肌を寄せあって抱き合う。薄いエプロンの布地を通して、胸にも腹にも彼の熱を感じ

る。エプロンの上から、彼は僕の身体を撫でまわした。薄い布地の上から乳首を摘ままれる。

「かわいいな。・・・こんなとこ、堅くして」

「ああ・・・ダメ、だよ。舐めないで」

 ロックオンは、エプロンの上から僕の胸を舐めた。濡れた舌先に弄ばれて、小さな突起が透けて見

えている。身体を覆う布の量は多くない。エプロンを掴まれて、僕のものはフリルの陰からこぼれ

て、尻が剥き出しになる。

「アレルヤ・・・エロすぎ。裸エプロンであんなセリフ、誰に教わったの?」

「本、見たんだ。『新妻のたしなみ』って本。リヒティが貸してくれた・・・」

「勉強したのか。さすが俺の嫁」

「ね、僕、ロックオンのことなんて、呼んだらいいの? あなた?・・・それともご主人さま?」

 それじゃ、メイドだって言って、ロックオンは僕を抱き直すと、髪を撫でて微笑んだ。

「ニールだ・・・俺のほんとうの名前。ニール・ディランディ」

 明らかに守秘義務違反だけど、僕は嬉しかった。頬に血が上って目がしらが熱くなる。彼は、僕の

人生において「本当の名前を持っている」最初の友人で、最初に好きになった人だ。その人の腕のな

かで、彼の本当の名前を呼ぶことができるなんて、なんて幸せなことなんだろう。

「ニール。ニール・・・愛してる」

 ニール・ディランディは、僕の目尻に溜まった涙を指先で拭うと、微笑んで、優しく口付をしてく

れた。

「もっと俺の名前、呼べよ。アレルヤ」

「ニール。・・・うんと可愛がってください」

 腕を伸ばして、彼の頭を抱えるようにした。栗色の髪に指先を滑らせる。僕の夫は、毛先まで美し

い人だ。
 大きな手が、エプロンの脇のほうから差し入れられて、肌に直に触れてきた。唇で胸を、手で性器

を愛撫されて、僕は身悶える。透明な雫が溢れて流れだし、エプロンに滴る。せっかくアイロンをか

けたエプロンは、皺になって汚れていく。

 互いの物を握り合って、同じリズムで擦り合わせる。肉茎は粘液に濡れて、硬度を増し、充実して

いく。その感覚に、身体の芯がぞくりとする。僕の身体は、その堅く充実したものを覚えていて、快

楽を求めてはしたなく反応する。もっと深く繋がりたくて、僕は彼の肩に手を伸ばす。

「ニール。お願い・・・ほしい」

 返事の代わりに、噛みつくようなキス。ロックオンは、エプロンを僕の身体から剥ぐと、僕の脚を

高く持ち上げた。張り詰めた茎から滴り落ちた蜜で、そこはすでに濡れている。それを彼に見られて

いると思うだけで、蕾がひくつくのを抑えられない。つぷりと指を1本入れられただけで、腰が揺れ

た。
「アレルヤ、中、悦んでる」

 長い指の侵入にあわせて、内壁が蠢く。指を忍ばせたまま、ロックオンは、僕の乳首に唇を寄せ

る。ちろちろと舌先で舐めたあと、かりり、と歯を立てた。

「はぁ・・・あぁっ・・・あん」

 甘い痛みに、脳までしびれたようになってしまう。我慢しきれなくて、白濁が零れた。

「胸でいっちまったのか」

「ごめん・・・」

「いいさ。もっとよくしてやる」

 ロックオンは、僕の頬を舐めたり、耳朶を軽く噛んだりして、僕を甘やかす。後孔の指は増やされ

て、出たり入ったりして敏感なところを愛撫する。触れて貰っていないというのに、僕の牡は濁った

蜜を溢れさせ、身体が昇り詰めていく。

「あぁ、ニール・・・あ・・・んふ・・・ああ・・・ん」

「アレルヤ。俺、もう、お前ん中、入りたい。・・・いいか?」

 指が抜かれ、代わりに熱いものがひたりと押しあてられる。押し開かれる感覚に思わず涙が浮か

ぶ。堅くみなぎった肉茎に内壁が絡みつく。快感に白濁が迸って互いの腹を汚した。

「ロックオンッ・・・ニール」

「アレルヤ・・・すげ、気持いい」

 求めあって、口付けをかわす。深く貪り合い、息を奪う。一度解放して緩んだ身体を、熱い欲望で

浅く、深く、犯されて、僕は蕩けていく。

「アレルヤ・・・アレルヤ・・・」

 彼はまるで祈りの言葉のように僕を呼んだ。僕は広い肩にすがり、首筋に唇を寄せる。

「ニール。好き・・・もっと、もっと・・・して」

「ああ。ほしいだけ、くれてやる」

 力強い律動と最奥を抉るような腰の動きに、頭の芯が白くなって、ただ、彼のことだけを考えてい

る。
 首筋の柔らかい肌を軽く噛み、痕をつけた。彼を僕だけのものにしたかった。僕が牙のある獣だっ

たら、頸動脈を食い破り、血を啜るだろう。蝶を喰う蜘蛛のように、彼を絡めとってしまいたくて、

腰に脚を絡めた。

「そんな、締めんなって。動けねえ」

 ロックオンは、動くのを止めて、僕をなだめるように髪をなで、頬にキスをしてくれる。

「や、だめ。ニールの堅い、よ。ああ・・・あぁ・・・あっ・・・いく・・・いっちゃう!」

 僕は聞きわけのない子供のように、首を振った。大きな手が僕の腰を捉えて持ち上げる。肉の楔が

ぐっと奥まで押し入ってきて、その熱さに、また白濁が零れる。快感に、息が止まりそうになる。

「いけよ。その声、たまんねえ。・・・アレルヤ、中に出すぜ」

 抽送が激しくなったと思うと、いきなり止まり、熱い飛沫を中に感じる。彼は、僕の中にとどまっ

たまま、ぐったりと凭れてきた。

 僕は、熱い身体から離れたくなくて、彼に縋りついた。


 ⇒雨3