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VALENTINE MISSION U

SWEET MEMORY



                ライルとアレルヤのHAPPY VALENTINE 
 
 「アレルヤ奪還」直後くらい。


 2月の10日過ぎ。

 バレンタインデーが近くなると、プトレマイオスには、コソコソ、クスクス、カサ

カサと、少し騒がしくなる。女性陣は楽しげで、男性陣は落ち着かない感じだ。

 バレンタインデーは、「好きな人にチョコを渡す」という、すでに古典だが、いま

だに根強い人気を誇っているイベントだ。トレミーでは、スメラギ・李・ノリエガ

が、こうしたお祭りが好きなので、クリスマスやハロウィンと同等に扱われている。

 食堂に、14日のVALENTINE特別メニューのお知らせが掲示された。

 ブリーフィングが昼前に終わり、珍しく、イアン、ラッセ、刹那、ティエリア、ア

レルヤが食堂にそろっていた。

「今年もこの季節なんだな。毎年、まあ、よく飽きもせずにするもんだな、女の子っ

てのは」

 ローカロリーのC定食をトレーにのせたイアンの言葉に、ラッセが頷いた。

「確かに。・・・CBが活動を始める前だが、ロックオンはもてたな。紙袋いっぱい

チョコもらってたんで、驚いた。俺はあんまりそういうのに縁がなかったから」

 たしかに、マフィアにはバレンタインデーはあまり似あわない。

「子供の頃からそうだったんだ。ニールが紙袋1袋なら、俺は2袋だったけどな」

 ライルの言葉にイアンとラッセは顔を見合わせて苦笑いし、刹那とティエリアはス

ルーした。アレルヤは、「へええ」と感心している。

「・・・手作りってのも、善し悪しだよな。俺は甘いものは苦手だから、捨てるに捨

てられずに困った」

 やはり、ライルの言葉には無関心なティエリアは、A定食のおかずから蝦だけをき

れいによけて食べ、ナプキンで口元を抑えた。

「本来女性は、こうしたイベントが好きだ。反対する理由もないだろう。平和で幸せ

だということだ」

 アレルヤが、たんぱく質重視のB定食を残さずきれいに食べ終える。

「トレミーには娯楽が少ないから、みんな楽しみにしてますよ。ミレイナもフェルト

も」

「バレンタインのイベントは結構だが、チョコだけでなく、酒とつまみもほしいな」

 と、同じくB定食のラッセが言う。こちらも完食している。

「まったくだな」

 ライルは、頷きながらA定食のフォークを置いた。

 刹那がライルのトレーを見た。

「どうした。ロックオン。イモを残している。・・・ロックオンなのに」

 ライルはあわてて刹那を睨んだが、遅かった。

「どうしたんですか? 具合でも?」

 心配そうにアレルヤが聞いてくる。

「炭水化物の過剰摂取が気になるなら、運動量を増やすか、C定食にしたらどうだ。

ロックオン」

 ティエリアの言葉に、イアンとアレルヤとラッセが頷く。

 ライルは、黙って煙草を持って席を立った。

 ここの人間に「ダイエット」なんて説明しても意味はない。ライルが煙草を吸う理

由もだ。みんな真面目で息がつまる。

 フェルトとミレイナが、イベントを楽しみに思う気持ちが、わかる気がした。

 いつもと少し違う何か。それを楽しみに思う気持ちは、ライルにだってある。



 バレンタイン当日。

 キッチンは、女性陣に占領されていて、朝から甘い、いい匂いがトレミー中に

漂っている。なぜかアレルヤは作る側で、みんなを手伝ってエプロンをしてい

る。ラッセに聞くと、CB発足当初からなのだそうだ。

 たしかにアレルヤは、料理がうまい。というか、レシピどおりに作るから失敗が

ない。お菓子というのは、量や時間を正確にしないとうまくいかないそうだから、

アレルヤには向いている。

 ミレイナとフェルトは、フリルのついた白い可愛いエプロンをしている。アレル

ヤは、カフェの店員のようなギャルソン風だ。黒地に、白い粉がついているのは、

ケーキでも焼いているのだろう。
 
 エプロン姿のアレルヤに、廊下ですれ違った。焼いているのはチョコレートケーキ

らしく、頬にチョコレートがついている。

「忙しそうだな」

「はい。ケーキやチョコのほかに、みなさんのリクエストにお応えして、お酒のつま

みも用意してます。ロックオンも、あとで食堂にきてくださいね」

 と、にっこり笑う。

 エプロンの紐を引っ張って、通路の陰にアレルヤを連れこんだ。チョコレートの甘

い香り。昔、母さんがさせていたのと同じ香りがする。甘いお菓子と、石鹸の匂い。

地上ではふつうの香りが、ここでは特別なものに感じられる。無機質なトレミーの壁

と照明のせいだろうか。

「アレルヤ。それだけか?」

「え?」

 バレンタインの楽しみは、ケーキだけではないはずだ。ライルの顔を見ていたアレ

ルヤの眉が下がった。

「・・・ひょっとして、ロックオン、チョコ欲しかった?」

「当たり前だろ」

 アレルヤは俯いた。

「あの・・・ごめんなさい。この間、チョコとかもらっても迷惑だって、言ってたか

ら」

「それは、その他大勢の女の子の話だろ。・・・お前は特別だ」
 
ライルは壁に手をついてアレルヤが逃げられないようにする。金と銀灰の瞳が、ほん

とうに困ったという色をたたえている。アレルヤを包んでいた、あったかくて、楽し

い雰囲気が消えていく。

「ごめんなさい。僕・・・」

 腰を引き寄せて、頬にキスをする。ぺロリと、頬を舐めてやる。チョコレートは、

無塩バターとココアの味だけで、甘くもなんともなかった。

「オーライ。気にすんな」

 手の中の小鳥を放すようにアレルヤを解放してやる。アレルヤは、一度だけライル

を振り返ると、キッチンに走って行った。



 バレンタインのメニューはおおむね好評で、デザートのチョコケーキは完売、イア

ンとラッセとスメラギは、誰かの部屋で宴会の予定らしい。アレルヤは、夕食の直後

から姿が見えなかった。

 ライルは、宴会の誘いを断った。明日は朝からシミュレーションで、また「可愛い

教官殿」と一緒だ。二日酔いなんかしてる場合ではない。

 部屋でモニターのニュースを見ていると、インターホンが来訪者を知らせる。

「ロックオン。僕、です」

 アレルヤと一緒に甘い香りが入ってきた。アレルヤは、白いナプキンのかかった

トレーを持っている。デスクにそれを置くと、ナプキンを取った。白い皿に、粉砂

糖のかかったチョコケーキ。端には果物と生クリームが添えてある。女の子が喜び

そうな盛りつけだ。

 ちいさなフォークとナイフを添えてある

「あの、フォンダンショコラ。作ったんです」

「僕が知ってるのは、これくらいなので」と、声がだんだん小さくなる。

「気にすんなって言ったろ。俺、甘いもの食わねえし」

「でも、僕のエプロンのポケットに、これが」

 おずおずと、エプロンからチョコレートソースのチューブを出した。

「これ、さっき廊下ですれちがった時に、ロックオンが僕のポケットに入れたんだ

よね」

 アレルヤの掌に載っているのは、市販の、そのままでもパンやホットケーキにか

けて食べられるタイプのチョコレートソースで、容器にはまだ、中身が半分くらい

残っている。

「そうだよ。俺から、アレルヤにプレゼントだ」

 ライルの言葉にアレルヤが頷く。

「僕は、これで何か作れってことなんだと思ったんだけど。ちがった?」

「ちょっとな・・・まあ、せっかく俺のために作ってくれたんだ。いただくぜ」

 それでも、皿を受け取ると、アレルヤは、ほっとしたように息をついて、隣に座

った。

 可愛いハート型のフォンダンショコラの横に、オレンジとミントの葉が飾ってある。

「何これ」

「・・・オレンジが僕で、ミントがロックオン」

 アレルヤは、当然のように答えて、小首をかしげる。

 誰に教えられたんだ? そんなの?

 追及するのはあとにする。ケーキはまだほんのりと温かく、甘い香りがする。甘い

ものは苦手でも、一口くらいは食べたくなる。フォンダンショコラにナイフを入れる

と、中からチョコレートソースが溢れだした。口に入れたひとかけは、濃厚な香りを

残して舌の上で消えてしまう。

「うまい」

 そう言うと、アレルヤが嬉しそうにほほ笑んだ。緊張していた膝頭が、緩んで踊り

だしそうだった。でも、ひとりで食べるのはつまらない。

「あーん」

 オレンジをチョコソースに浸し、それをアレルヤの口元に差し出す。

「自分で食べるよ」

 オレンジをフォークごと取ろうとするのをさえぎった。子供あつかいされるのに戸

惑っているのだろう。こういう子供っぽいことをするのが、楽しいのに。

「いいから食えよ。チョコが垂れるぜ」

 しかたなく、アレルヤは口をあける。キスをするのとは少し違う。遠慮がちな口元

に強引にオレンジを押し込んだ。

 口の端にチョコレートソースとオレンジの果汁が垂れる。細い咽喉がコクッとなる。

「うまそ」

 顎を捉えて、そのままキスをする。口の奥まで、舌を入れて、残滓を啜った。息を

奪われて、アレルヤが、はあ、と息をつくのが色っぽい。

「チョコとオレンジとお前さんの味がする。・・なあ、チョコソースの残り出して」

「チョコ、足りない? 」

 チューブのふたを開けたアレルヤの手をつかんで、握りしめる。

 ビュッと中身が出て、アレルヤの顔にかかった。顎から口元から、頬にかけて、チ

ョコレートの飛沫が散り、甘い香りが満ちる。 滑らかな頬をねっとりとチョコレート

が流れた。

「うわっ。なにするんですか」

「なにって・・・。やっぱ、エロいな。予想通り」

 いつもと少し違うシチュエーションを楽しみたかった。やっと手に入れた初心な恋人

の、整った顔立ちを汚してみたい。ちょっとだけ、日常から少しだけ外れたことをさせ

て、羞恥に染まる頬を見てみたい。それは、とても魅力的だった。

 通路で会ったアレルヤの頬についたチョコレートソースは、ものすごく色っぽかっ

た。ほんとうは、ホットケーキかワッフルでも焼いてもらい、バレンタインの甘い夜を

過ごしたあとの朝食に、ちょっとだけ甘さを添えたらどうかな、くらいに思っていた。

 でも、思いついたらやってみたくなった。どっかのAVにありそうなシチュエーショ

ンだが、アレルヤなら別だ。

 抱き寄せて、口元から、頬を舐める。チョコレートは、思ったより粘度が高く、軽く

舌を這わせたくらいでは落ちなかった。アレルヤの頬の舌触りと、チョコの甘さにぞく

ぞくする。猫のように、ピチャピチャと舌を鳴らす。

「たまんねえ」

「やだ。舐めないで」

 アレルヤは、もがいて腕の中から逃げ出そうとする。

「なんで。アレルヤにはビターチョコがあうな。うまい」

「ひょっとしてロックオン、こんなことのためにチョコを僕にくれたんですか・・・」

「こんなことって、チョコソースをお前さんにかけてだな、チョコもアレルヤも、おい

しく頂くのが今日のコンセプトだが」

 自分でも言ってるセリフが出来の悪いAVみたいだと思う。アレルヤはAVなんて見

るんだろうか。見ないかもしれない。と、銀灰の瞳にじんわりと涙が浮かぶのを見て思

った。

「なんだよ、なんで泣くんだよ」

「だって。ロックオン。僕、ロックオンから、チョコ、もらったの初めてだから・・・

すごくうれしかった。なのに、あなたは遊び半分なんですね」

「遊びって・・・たかが、バレンタインだろ」

「ロックオンには、たかが、でも、僕にはそうは思えない」

 アレルヤは、エプロンのポケットから、オレンジの包装紙にグリーンのリボンのかか

った箱を出した。

「あなたに、と思って用意したんだ。迷惑だって聞いて渡せなくて。・・・でも、僕の

こと特別だって言ってくれたのが、すごくうれしかった。だから持って来たんだけど。

しょせん、遊びなんですね。・・・僕のこと」

 言ってるそばから、ぽろぽろと大粒の涙が零れて、エプロンに染みを作っていく。

「違う。違うって・・・アレルヤ」

 ふだんのベッドでは、顔にかけたって、大胆なことをさせても泣きはしないのに、

なんで泣かれるのか分からなかった。

 あわてて、ペーパーナプキンを濡らし、顔を拭いてやる。

 涼しげな金と銀灰の瞳、細い眉、長い睫毛、すっとした鼻筋、なめらかな頬のライ

ン。きれいな顔が、チョコレートソースと涙ですごいことになっている。

 頬を掌に包むようにして、涙をなめた。唇にキスしようとすると、アレルヤは下を

むいてイヤイヤをする。眼元の涙を吸うと、チョコと涙の交じったしょっぱい味がす

る。

「悪かったよ」

 顔をふいてやり、頭をなでて、抱き寄せる。

「遊びだなんて思ってねえよ。わかるだろ」

 ひくっ、とアレルヤが嗚咽する。流れた涙がインナーにしみていくのがわかる。ア

レルヤの高い体温と温かい涙。硬いものが当たるのは、アレルヤが胸にチョコの箱を

抱いているからだ。

「アレルヤ。そのチョコ、俺にくれないか」

 アレルヤは、黙ってぐすぐすする。

 そっと腕を解いて、デスクに行き、紙袋を取り上げ、中身を出した。

 グリーンの包装紙にオレンジのリボン。ほんとうは適当な時に渡そうと思っていた。

 バレンタイン。

 ありふれた日常の小さなイベント。こんなことに意味なんかないと思っていたが、

アレルヤのことだ、渡せば喜んでくれるだろうと思って買っておいた。

「そして、俺からのチョコ。受け取ってくれ」

 アレルヤの視線が、チョコとライルの顔を行ったり来たりする。

 アレルヤの手に、ふたつの箱を握らせて、手をとる。

「アレルヤ。好きだ。俺と本気で付き合ってくれ」

 真面目くさった顔をして、指先に唇をふれる。物語のお姫様にするように。

「ありがとう。ロックオン。・・・僕もあなたのこと、好き、です」

 今時の高校生だってこんなセリフ言いはしない。くすぐったくて、照れくさくって

たまらない。バレンタインっていうのは、それを言っても許される日なのかもしれな

いが。

 キスどころか、身体を重ねている関係なのに、アレルヤは銀灰の瞳をうるませて、

目元を染めている。

 眼元の色気と初心さの落差にくらくらする。

 アレルヤは、体格もいいし、頭もいいから、つい忘れてしまうが、アレルヤはライ

ルより5歳年下だ。超兵機関で育てられて、ガンダムに乗せられて、アロウズに捕ま

って・・・。

 アレルヤは、普通の学生生活なんてしたことがない。

 甘酸っぱい思い出は、いつか懐かしむだけのものになって、忘れてしまう。でも、

それは、そんな体験はしなくていいってことじゃない。

 困ったり、泣いたり、怒ったり、笑ったり。普通のことを、普通にできる幸せ。 ど

れだけ知識を詰め込んでもそれは得ることができない。

「お前さ、俺といて楽しい?」

「ロックオン・・・あなたと一緒に何かするのって、僕にとっては楽しいことだよ」

 素直に頷いて、小さな箱を、大きな掌に大切そうに握りしめている。

 そう言われれば、ライルだって初めてチョコをもらった時は嬉しかった。ニールに

も内緒で、こっそり食べた。紙袋いっぱいもらったって、気になってるあの子から貰

えなかったらゼロと同じだった。小さな包みを貰った時の、甘く弾んだ気分を覚えて

いる。

「アレルヤ」

 顎の下に指をそえて唇を寄せると、唇を合わせてちゃんと舌を絡めて大人のキスを

してくる。

 アレルヤにキスを教えた人は、普通の幸せを知っていたろうか。そうだといいと思

う。ただ、アレルヤにそれを教える時間がなかったんだ。そう思いたい。

「アレルヤ。バレンタインの次に何があるか、知ってるか」

「ホワイトデー?」

「なんだ、知ってるのか。じゃあ、用意しとけよ」

「何を?」

「何をって、デートだよ。デート! 告白して付き合い始めたら、次はデートだ。い

いか、デートの王道っていうのものはだな・・・」

 ライルの講釈に、わかったんだか、わからないんだか、きょとんとしているアレル

ヤの鼻の先にキスをしてやる。

 アレルヤが、くすくすと笑いだす。

 互いに贈り合ったチョコの包みを開けて、食べた。それはとても甘くて、美味く

て、涙が出るほど、懐かしい味がした。





                            2011/02/18   了



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