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堕天使の楽園 INTERMEZZO



                   【きっかけ】

 トレミーでの食事は、各自自由で、好きなものを好きなだけ食べていいことになっている。しかし、

船内では運動不足になりがちだし、メニューを考えるのも面倒なので、みんな、あらかじめ用意された

定食を選ぶことが多い。栄養やカロリーが配慮されている分、ありきたりだ。
 
 だから時々、クルーの要望で、特別メニューが組まれることがある。

 今日はフェルトの誕生日祝いで、食堂でささやかなパーティが行われることになった。クリスマスは

終わったが、新年にはまだ早い。

「ティエリアは、留守なのか」

「そうなんですぅ。ラグランジュ1にお出かけです。だから、特別メニューですぅ」

 部屋で、レポートを作成していたライルを呼びに来たミレイナは、そう事情を説明してくれた。

 ティエリアは、「生きていた時の形を保っている食べ物が苦手」なのだという。肉や野菜はともか

く、魚介類は要注意らしい。刻んであればいいそうなので、日常的には問題ないが、彼がいてはでき

ないメニューがあった。

「なんだ? 七面鳥の丸焼きか?」

「それも、魅力的ですが。違うです。今日は中華です」

「中華?」

「そうです。中華。エビさんや、カニさんがいっぱいです。アレルヤさんが、作ってくれるです」

 アレルヤの手料理と聞いて、ライルは、急に食欲がわいた。

「へえ。楽しみだな」

「スメラギさんとマリーさんも手伝ってくれてるです」

 食堂は、いつもと違うテーブル配置になっていた。

 部屋の中央にイチゴの載った可愛いケーキを置いたテーブル。

 そのほかのテーブルは少し違う。丸いテーブルの上に小さな丸テーブルが置かれ、それが回転して、

料理を取りやすくしてある。

「ちゃんと、円卓が回るようにしたんだぜ」
 
 イアン・ヴァスティが、ビールを回してきた。

 サラリーマン時代に行った中華料理屋にこんなテーブルがあったのを思い出した。

 見慣れないラベルのビールは、青島ビールだった。テーブルの向いには、スメラギが座っている。彼

女の前の茶褐色の酒は、燗をした紹興酒だろう。小ぶりのグラスの底に、白く砂糖が沈んでいる。

「お先に始めてるわよ」

「あんた、手伝ってるんじゃないのか」

「ちゃんと手伝ったわよ。あとはアレルヤたちに任せてあるから。もう出来あがるわ。さっきまで立

ちっぱなしだったのよ。もう、飲ませて」

 ぐいっと煽ると、酒を注いだ。ライルにも注いでくれる。熱い酒は独特の甘い香りがした。

 昔食べた料理を思い出そうとした。たしか、鶏肉とナッツの炒めものと、豚肉をローストしたもの

とかが美味かった。

 スメラギが、紙を滑らせてきた。

「今日のメニューよ」

 渡されたメモを見て、ライルは首を傾げた。

 そこには、漢字と思しき文字が、縦に並んでいた。なんと書いてあるのか、ライルにはさっぱりわ

からない。

『皮蛋』

『叉焼』

『餃子』

『焼売』

『乾焼蝦仁』

『青椒肉絲』

『蟹炒飯』

『杏仁豆腐』

『茉莉花茶』

「なんだこりゃ。俺にはさっぱり読めねえ」

「あら、ロックオンは漢字苦手?」

「ああ。文字が縦に並んでて、右から読まなきゃならないなんて信じらんねえ」

「失礼な言い方ねえ。漢字の起源は古いのよ」

スメラギが日系スペイン人だったことを思い出した。

 話題を変えようとおもっているところに、大きな皿を持ってアレルヤが来た。

「前菜です」

 綺麗に盛りつけられた皿に、棒が二本添えられている。

「アレルヤ。これなに?」

 アレルヤが皿を置く。

「皮蛋と叉焼、餃子、焼売です」

 並べられた単語が、どれを差すのかわからない。

「アレルヤ。お前、漢字で話してるだろ」

「?」

 アレルヤが次の皿を運んでくる。献立表と料理が一致しない。そもそも、献立表が読めてない。その

うえ、テーブルには棒が並んでいるだけで、フォークもナイフもないので、ライルは眼の前の料理を食

べることができない。

「どれがどれだ? んで、この棒なに? フォンデュでもするのか」

「これは箸ですよ。これで取り分けて、食べるんです」

「ハシってChopsticksか。それならそう言ってくれよ。俺にはフォークくれ」

 アレルヤは笑って取りに行ったが、スメラギは聞き逃さなかった。箸でエビを取り分けながら、

「箸知らないの? フォークなんかで食べたらおいしくないわよ」

「呼び方なんかどうでもいいだろ」

「あら。名前は重要よ。名は体を表す。『エビのチリソース炒め』と『乾焼蝦仁』じゃ違うのよ」

 アレルヤがフォークをくれたので、やっとエビを食べることができた。殻付きだが美味い。アレ

ルヤが器用に箸を使って、今度はピーマンと肉の細切りの炒め物を取り分けてくれる。

「マリーが作ったんです。おいしいですよ」

「アレルヤ、これ、なんだ?」

「『青椒肉絲』。材料だけでなく、その形状や調理方法まで表現できるんです。面白いですよ、漢

字は」

 そういえば、アレルヤの最近の読書は東洋哲学だ。

 スメラギとアレルヤとマリーは上手に箸を使って、うまそうに食事している。そうだった。こい

つらは箸と漢字の国のやつらだ。

 ジャポニスムとシノワズリ。

 助けを求めて、隣のテーブルを見る。

 刹那は、別の意味でオリエンタルだし、ミレイナとフェルトは宇宙育ち。イアンとラッセは文科

系のことには疎そうだ。料理そっちのけで、豚足を食べている。ティエリアがいたら、絶対食べら

れない。

 ヨーロッパ文化を語れる人間はいないのか。この東洋連合に太刀打ちできそうな人材は。

 蟹肉の入った炒飯が終わると、マリーがガラスの器に入ったデザートを運んできた。

「これって、ゼリー?」

「いいえ、杏仁豆腐です。茉莉花茶もどうぞ」

 にこやかにデザートをすすめる。
 
 フェルトが立ち上がった。

「わたし、アニューさんと交代してきます」

 アニュー・リターナー。新しいクルー。優秀さはイアンのお墨付きだ。彼女は、どこの出身だろう。

あの容姿ならきっとヨーロッパだ。

「あ、いいよ。俺が行ってやる。フェルトは今日の主役だろ。デザート楽しみなよ。ケーキ、これから

だろ」

 ライルの言葉に、アレルヤが不思議そうな顔をする。こいつのお仕置きは後だ。



 ブリッジに行って、紫色の髪に声を掛けた。とっておきの笑顔を作る。この笑顔で落とせなかった女

の子はいない。

「アニュー、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「はい。なんでしょう」




 これが、きっかけ。



                      

                                  >了 2009/12/26


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