NOVELS


春 の 雪 


 
 3月3日。

 俺の誕生日。俺はアレルヤの夢を見ていた。

 夢だ、と思うのは、アレルヤが、前髪を切っていて、金と銀灰の瞳を出しているからだ。アレルヤ

は、ふだんは右目を隠していて、金色の右の眼を出すのは、ハレルヤの人格に支配されている時だっ

たから、トレミーのクルーでもアレルヤがオッドアイだということを知っている人間は少なかった。

 俺が前髪を掻き上げようとすると、アレルヤはいつも嫌がった。片方ずつ色が違うのが、人目を引

くので嫌だったのかもしれない。いつも控えめにしている奴だから。もしかしたら、俺が、ハレルヤ

にキスでもしやしないか、心配していたのかもしれない。いつも、自分がほんとうに愛されているの

か自信がない奴だから。

 でも、俺は知っていた。アレルヤは、黙っていたって目立つ存在で、金と銀灰の瞳は綺麗で、いつ

だって俺を引きつけた。アレルヤは、自分を受け入れてくれる人が好きだと言っていたが、アレルヤ

に受け入れられて幸せだったのは、俺のほうだった。


 ☆

『ロックオン。誕生日おめでとう』

 そう言って、リボンのかかった箱を差し出す。睫毛の濃い眼元から、細い顎のラインが少しやせて

いる。ふっくらとした頬が、少し子供の面影を残していたのに、今日はいつもよりだいぶ大人びてい

る。

 俺は、未来を夢見ているんだろうか。大人になったアレルヤは、精悍さと艶めいた雰囲気と、やは

り相反する二つのイメージを持っている。

『なんだ、アレルヤ。今年も手袋か』

 アレルヤからのプレゼントに文句を言っているのは俺のはずだが、自分の姿に違和感があるのはな

ぜだろう。

『ロックオンだって、毎年マフラーじゃないですか』

 と言って笑うアレルヤの首には暖かそうなオレンジ色をしたマフラーが巻かれている。

 マイスター唯一の暖色系。

 暖かい陽射しの色。さわやかな柑橘類の色。

 アレルヤには似合っている。


 ★

 互いの誕生日にプレゼントを贈ることにしたのは、まだ、武力介入をする前だ。

アレルヤは、誕生日というものを特別とは思っていなかった。かろうじて、運転免許証や選挙権、飲

酒や喫煙を許可される条件として認識していただけだ。

 プレゼントを贈ったりケーキを食べたりパーティーしたりするのだと知らなかった。

 たまたま降りた経済特区・東京で、俺とアレルヤは互いの誕生日を知った。

 一緒に祝おうということになって、誕生日のプレゼントを贈り合うことにして、モールへ行き、買

い物をした。

 アレルヤは少し迷って、俺に手袋を買ってくれた。モスグリーンのバックスキンのものだ。俺は、

オレンジ色の春物のマフラーを買った。

 その日は2月27日で、俺はアレルヤの首にマフラーを巻いて「俺はお前さんを包んでやるよ」と

言った。アレルヤは俺に手袋をはめてくれて、「僕はあなたを守る存在になりたい」と言った。

 プレゼントの交換をしていたのは、モールの近くの公園だった。アレルヤが、「あったかいです。

とても」と言って頬を染めたのが可愛らしくて、俺は思わず抱き寄せて、キスをしていた。

 アレルヤは銀灰の瞳をまんまるにして驚いて、「もう一回していい?」って聞くと「恥ずかしいか

らダメです」と言って俯いた。

 その年は、例年になく寒い年で、もうすぐ3月だというのに雪が降った。肩を並べて歩いている

と、肩に雪が舞い降りた。

「ロックオン、雪」

 アレルヤが立ち止って、空を見上げた。水分を含んだ綿のような雪が、ひらりと唇に落ちるのを見

逃さずに、すかさず唇を寄せた。

「ロックオン。からかわないで」

 銀灰の瞳が睨んでいる。

「からかってるわけじゃねえよ。俺はお前さんが好きなんだ。だからキスしたんだけど、迷惑だっ

た?」

 俺の言葉にアレルヤは、「ありがとう。うれしい」と言って、大粒の涙を浮かべた。俺が、手袋を

した手で、頬にふれると。ポロリと零れた涙が、モスグリーンのバックスキンに吸い込まれて、小さ

な染みを作った。

 それから、ちゃんと恋人同士のキスをした。

 アレルヤの頬や、髪についた雪をはらってやりながら、俺たちは歩いた。

 そして、誕生日には休暇をとって、一緒に過ごそうと約束した。

 もっとも武力介入が始まってからは、いろいろあって、アレルヤにとって、誕生日はあまり嬉しい

日でもなくなっていたかもしれない。


 ☆

 俺は天使にでもなったのか、高いところから、俺とアレルヤを見ている。

 重い鈍色をした空の下、葉をつけていない裸の木ばかりの公園は、寒々しく、黄色く枯れた芝生に

も、木製のベンチにも人影はなかった。シンとした公園にいるのは、背の高い男がふたりだけだ。

 夢の中で、アレルヤに手袋を貰った俺は、包装紙を公園のごみ箱に放り込むと、さっそくはめてみ

ていた。手袋は細身の黒い革のものだ。長い指がきれいに見える。俺は両手を組んで、はめ心地を確

かめている。

 見たことのない手袋。しかし、それを見ている俺は何も感じない。すべてが他人事で、違和感があ

る。

『悪くないぜ。ありがとう』

 軽く礼を言うと、もうひとりの俺は先に立って歩き始めた。アレルヤは立ち止まって空を見上げ

た。俺のほうを見ているのに、視界には入ってないみたいだ。

 しかし、俺はどうしたんだろう。アレルヤと手もつながずに歩くなんて、どういうことだ。

『ロックオン、待ってください』

 大人びたアレルヤの、金と銀灰の瞳にオレンジのマフラーは似合っているが、見覚えがない。

 前髪を切ったアレルヤは、俺の知ってるアレルヤより、ちょっとだけりりしくて、眼元から頬に色

気がある。そうか、大人のアレルヤを見ているのか、と思い当った。

 栗色の髪が、灰皿の前で立ち止まって、ポケットから煙草を出した。火を点けて、煙を吐き出す。

『早くホテルに戻ろうぜ。寒くなってきた。雪でも降りそうだな』

 ライターの火に照らされた横顔は、俺とうりふたつ。でも、あそこにいるのは、俺じゃないと思

う。俺は煙草を吸わない。

『今日、雪が降ったら、8年ぶりの春の雪だそうですよ』

 アレルヤは追いついたものの、少し離れて立ち、寒そうに両手に息を吐いて温めようとした。


 ★

 アレルヤは、寒さや熱さに鈍感で、トレミーではいつも薄いインナーで平気そうにしていたが、俺

と一緒に地上で過ごすようになって、冬はマフラーやコートを着るようになった。でも、手袋はしな

い。

「どうして」って聞くと、「寒くないから」と答えるのだが、その言葉通りで、手を握るといつも温か

かった。

「手のあったかい奴は、心が冷たいんだ」ってからかうと、本気にして、「そうなの?」って悲しそ

うな顔をした。だから、手袋を外して手を握ってやる。そうすると、外気に触れてないぶん、俺の手

のほうが暖かい。

「心配すんな。俺の手のほうがあったかいだろ。だから、俺のほうが冷たい人間だ」

 アレルヤは、微笑んで手を引こうとする。

「そんなことない。ロックオンは優しいよ。いつも」

「そうか。じゃあ、こうしよう」って、俺は、手袋の片方をアレルヤに渡し、空いたほうの手を掴ん

で、ポケットに入れる。腕を組んで、ポケットに手をいれて歩いていると、互いの体温で、じきに暖

かくなる。

「ロックオン?」

「同じ温度だったら、おんなじだけ優しくて、おんなじだけ冷たいだろ」

「そういう問題じゃない気がするけど」

「いいんだよ」

 男同士で手を繋ぐのはどうかと思ったが、その日は、桃の節句だというのに、寒くて、雪がちらつ

いていた。

 ☆

『冷たい手、してんな』

 男は煙草を吸い終えると、手袋を外して、アレルヤの手を取り、温めようと擦った。それから、手

袋の片方をアレルヤの手にはめ、素手のほうを握って自分のポケットに入れると歩き始めた。

『ロックオン。歩きにくい』

 アレルヤは、言いながら、目元を染めている。アレルヤが、ロックオンと呼ぶ男は、ぐっと腕を引

き、不必要なくらい身体を密着させて歩いている。

 くっつきすぎだろ。離れろよ。俺は、ムカつく。

『なんだ。兄さんとは、こうやって歩かなかったのか』

 アレルヤは、はっと眼を上げただけで、声に出して返事はしなかった。

 俺の「弟」は、アレルヤをちらりと見ると、口元を緩ませた。

『今日は、俺の誕生日だからな。たっぷりサービスしてもらうぜ。しかし、俺とお前と一緒に誕生日

休暇だなんて、スメラギさんも気が利いてる』

 今もミス・スメラギと一緒ってことは、ソレスタルビーイングは継続中で、「ロックオン」は俺の

弟が、跡を継いでるってことか。

『ロックオン。僕たちは東京で待機なんで、休暇じゃありませんよ』

『そうか。似たようなもんだろ。まあ、酒は我慢するけど、アレルヤは無理だ。我慢できねえ』

 ライル。お前は「ロックオン」になって、アレルヤまで引き継いで、そいつはちょっと、調子が良

すぎるだろう。

 アレルヤは、黙ってマフラーを巻き直している。



 アレルヤは、それを、「ロックオン」を許したのだろうか。

 散っていくGN粒子の中で、俺は、世界が変わって、ライルが幸せになって、アレルヤが俺を許して

くれることを願っていた。

 なぜなら、俺は、アレルヤがくれたいろんなものを置いてきてしまったから。

 アレルヤと過ごした楽しい思い出は、胸の底にあったけど、あの時、世界の歪みを正したくて、家

族の恨みを果たしたくて、俺はデュナメスを降りた。

 武力介入が終わったら、アレルヤの出生地を探しにいこう、俺の家族の墓に一緒に行こう、弟のラ

イルに会いに行こう。毎年の誕生日を一緒にすごそうって約束した。

 その全てを俺は反故にした。

 漆黒の闇のなかで、俺はもう肉体を失って、GN粒子に俺の意識だけが取り込まれていたのかもし

れない。ああ、もう俺は戻れないって思ったその時、ふいに別の粒子が流れてきた。

「ロックオン。僕はあなたを守りたい」

 そう語りかけてきたのは、トレミーに置いてきた手袋の残骸だった。俺の身体と一緒に、あの空間

で砕け散った多くの物たちが粒子化して語りかけてきて、俺はいろんな声を聞いた。俺も、きっと、

何か言った。

「もう一度、地上に戻って、ライルとアレルヤに会いたい」

 そうだね、そうだね、地上に帰りたいね。

 俺の周りの粒子たちが、そう語りながら流れていくのに身を任せて、俺は眼を瞑った。


 ☆

『ロックオン。雪だ』

 アレルヤが、立ち止って空を見上げた。ライルも一緒になって空を見る。翡翠の瞳と金と銀灰の

瞳。宇宙に瞬くどんな星よりも、俺の気持ちをひきつける。

 これが夢でないなら、ふたりの傍に降りて行きたい。そう思っても、俺には実体がない。

 はらはらと舞い落ちる雪片をコートの袖に受けて、ライルが言う。

『でかいな。綿か花びらみたいだ。アイルランドのとは違う』

『春の雪は、空気と水分を多く含んでますから。触れれば、こうして、すぐにとけてしまう。積もっ

たりしません』

 アレルヤが手袋をしたほうの手を広げた。掌に落ちた雪が、黒い小さな染みを手袋に作る。

 俺は自分が天使なんかじゃなく、粒子化していることに気がついた。降る雪に含まれて、地上のい

たる所に俺はいた。アレルヤの髪に舞い降りる雪、頬に落ちる雪、ライルの肩に、背に、髪に落ちる

雪に。公園の木に、土に、池に、舗装された道に音もなく、舞い降りて、ただ、見ていた。

 俺は身体を翻すと、ひとひらの雪に乗ってアレルヤの掌をめがけて飛び降りた。頼りなくゆらぎな

がら落下し、目的とは違う所に着地した。

『んっ・・・雪が唇に。・・・ちぇっ。春の雪にアレルヤの唇、奪われたぜ』

 ライルは、顔を寄せると、アレルヤに口づけた。

 アレルヤは、静かに眼を閉じて、ライルに寄り添っている。

『ロックオン。あったかいね』

 アレルヤは、キスを解いて微笑んだ。

『あたりまえだ。俺は生きてる・・・来年も、再来年も、お前と誕生日をする。だから、お前は毎

年、俺に手袋をくれ。そういう約束なんだろ?』

『うん』

『兄さんと同じ顔、髪の色、眼の色、声をした俺が・・・』

『ロックオン』

 アレルヤがさえぎった。

『ロックオン。ライル。わかってる。あなたが、ニールとは違うって。だから・・・』

 アレルヤの銀灰の瞳に涙が溢れた。

 アレルヤの涙。真珠のような大粒の涙。俺は、アレルヤの涙が好きだった。

『ロックオンは、僕を許してくれるだろうか』

 ライルはポケットから手を出すと、アレルヤを抱き寄せた。

『なあ、アレルヤ。お前は生きている。こうして年齢を重ねて生きていく。ただ、それだけでいい

んだ』

 ライルのことを、少し見直す。

 アレルヤの頬に、雪が舞い落ちる。涙と一緒に滑らかな頬を伝い、したたって土に落ちた。



 長い月日を経て、俺は地上に戻って来た。

 挨拶はできないし抱きしめることもできないけれど、いつも傍にいようと思う。

 春には、アレルヤの涙の後に、菫の花を咲かそう。

 夏には、早起きの鳥になって、アレルヤを起こそう。

 秋には、金木犀の花になって、アレルヤに甘い香を届けよう。

 冬には、雪になって、アレルヤの頬を濡らそう。

 誕生日には、マフラーに宿って、アレルヤの項に纏わりつくのは、悪くない。

 ついでに手袋に宿って、ライルのことも守ってやる。



 アレルヤは、顔を上げると、『そうかな。ロックオン』と、空に向かって言った。

 花びらのような雪片が、アレルヤの唇を濡らす。


 俺は、ふたりを見ている。

 いつか、この夢がさめることを願いながら。


                                      


                                        了
                                        2011/03/21


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