NOVELS


南の魚 5

Lockon  allelujah+
hallelujah



 ロックオンは、浅い眠りからふいに目覚めた。まだ夜は明けておらず、部屋の中は月の光に満ちてい

た。
 
 隣で眠っているアレルヤは健やかな寝息をたてている。ロックオンは起こさないようにそっと、ベッ

ドを抜け出すと窓辺の椅子に座り、ようやく手に入れた男の寝姿を眺めた。こんな時、一服したらうま

いだろうと思ったが、あいにくと煙草はCBに入る時に止めていた。

「ロックオン」

 突然、名前を呼ばれた。喉が涸れているのか、かすれた声だ。さっきは、ずいぶんと啼かせた。

 銀灰の瞳が、静かにこちらを見ていた。

「起しちまったか。悪いな。・・・でもまだ、寝てろ。夜明けにはまだある」

 部屋の中はコントラストのつきすぎた白黒写真のように現実感がなく、アレルヤの月の光に照らされ

た頬と瞳以外は、暗い闇の中に沈んでいる。

「ねえ、ロックオン。僕とあなたが生身で戦ったらどっちが強いかな」

「そりゃ、お前さんだろ」

 ロックオンはそう言うと、ベッドでは別だけどな、と片目をつぶった。

「じゃあ、銃撃なら?」

「銃を持ったら、悪いが俺の勝ちだな」

 アレルヤはその回答に満足したらしい。安心したような吐息をついた。

「ねえ、ロックオン。お願いがあるんだけど」
 
 情事の後のお願いとは艶めいている。ロックオンは、できるだけ甘い声を出した。

「どんな?」

「もし、僕が、敵以外、たとえばトレミーのクルーや一般人を殺戮したら、僕を撃って」
 
 唐突な願いに、ロックオンは顔を顰めた。アレルヤを撃つ? 何かの聞き間違いだと思った。

「なんだって?」

「だから、僕が僕のために人を殺めるような行動にでたら、僕を殺してほしい」

「何を言っている。寝惚けてるのか?」
 
 室内のクーラーから、ペリエとギネスを出すと、ゆっくりとベッドに近づいた。

 アレルヤを望むあまり、少々強引に抱いてしまった。少なからず好意は持たれていると思ったのだ

が、やはり嫌だったのだろうか。

「悪い夢でもみたのか」
 
 枕元に座り、手を伸ばそうとした。

 ゆらり、とアレルヤが体を起こす。

 眼が合った。
 
 右の眼。金色の瞳。冷たい光を宿している。

「ああ。悪い夢だな、この世界もあんたとのセックスも」

 アレルヤではない。さっきまではアレルヤだったのに、一瞬で入れ替わった。

 まるで、別人のような雰囲気だが、未知ではなかった。

 殺気。アレルヤが自己防衛に入ろうとする時、無意識のうちに発する気と同じものだった。

「ハレルヤ?」

 スメラギ・李・ノリエガからの資料に記載されていたもう一人の人格。温厚なアレルヤとは正反対に

凶暴性を持つという。詳細は伏せられていたが、アレルヤに異変があれば発現するだろうことは予測さ

れていた。

「はいな」

 ハレルヤは口元を歪めて笑うと、ロックオンの手元からギネスを取り上げ、喉を鳴らして飲んだ。

「もっと、強い酒だせよ。あの王留美のことだ。そのくらい用意してあんだろ」

「だめだ。お前、未成年だろ」

 ハレルヤは、じろりとロックオンを睨んだ。

「お前、なんで俺を知ってる? あの、おっぱいと何企んでやがる。ここに、アレルヤを連れ込んだの

だってあの女の差し金だろ」
 
 ハレルヤの鋭さにロックオンは苦笑いした。アレルヤとロックオンの間に何かあることを戦術予報士

は気が付いていた。アレルヤは組織内では要観察者であり、ロックオンをさりげなくアレルヤに近づけ

たのは彼女だ。まさか、こうした関係になることまでは考えていなかっただろうが。

「企んでなんかないさ。ミスは、アレルヤが心配なだけだ。俺だってそうだ。ところで、さっきのあれ

はなんだ」
 
 話題をすり替えたことには触れず、ハレルヤは俯いた。

「あいつは、俺を恐れている。怖いんだ。一人生き残って俺に支配されるのが。だから、俺の始末をつ

ける人間としてあんたを選んだんだろう。あんたは、アレルヤを食った気でいるんだろうが、色仕掛け

で籠絡されたのは、あんたのほうだ。色男さんよ」

 ロックオンは、もう一本ギネスを取り出すと今度は自分で飲んだ。ハレルヤが、不満そうに舌打ちし

たが、別人格でも体はアレルヤなのだ。これ以上は酒を飲ませるもりはない。それより、アレルヤの願

いのほうが気になった。

「で、どうするんだ? 色男。アレルヤのお願いきいてやんのか」

「冗談いうな。俺にアレルヤが撃てるわけがないだろう。俺はアレルヤを大事に思っている。別の人格

とはいえ、お前たちは二人で一人なんだろう。そんなアレルヤの自殺みたいなこと、手伝う気はない」

「なんだ、つまんねえ男だな。所詮は、アレルヤにつっこみたいだけか」

 思わず、胸倉をつかみそうになったが、ハレルヤの表情が真剣だったので、思い留まった。

「アレルヤは、生きることに後ろ向きすぎんだよ。このままじゃ、あんたの言うとおり、実戦じゃ使い

物にならねえ。じきに棺桶行きだ。悪いが俺は生き残りたい。あんたが、俺の始末をつけると言えば、

あいつは安心して戦うだろう。結果生き残ることになるのさ」

 ハレルヤはそう言うと、ギネスの残りを煽り、濡れた口元を手の甲で拭った。

「生き残って、アレルヤを乗っ取るのか」

 ハレルヤは、金の瞳をロックオンに向けた。ゆっくりと眇められた瞳はどちらかといえば悲しそうだ

った。

「さあ、どうかな」

 再び、アレルヤの体が力を失う。ロックオンは、あわてて腕の中に抱きよせた。


 ロックオンは、狙撃手として数多くの命を奪ってきた。敵軍の指揮官、思想的リーダー、必要であれ

ばためらわずに狙い撃った。彼らのほとんどが己の死など願ってはいなかったはずだ。
 
 ロックオンが、彼らに与えたのと同じ物を、アレルヤは望んでいる。人が自らそれを望む理由は、さ

して多くない。

 それは、生きていることが、耐えがたいほどの痛みだ。

 今、アレルヤを苛んでいるのは、肉体の傷ではないのだろう。肉体の傷は再生治療で癒せても、心の

傷はそうはいかない。ロックオン自身、古い傷の痛みに耐えて毎日を過ごしている。

 それがどうにも辛くて仕方がない時、ロックオンが望むのは、明るい太陽の日差しではなく、冷たい

月の光だった。月の光を連想させるアレルヤの銀灰の瞳に、ロックオンは惹かれた。絹のように鈍く光

る肌に欲望を感じた。
 
 それと同じように、アレルヤもロックオンを望んだのだろうか。標的を捉えて離さない冷徹さと、た

めらいのない指先を望んだのだろうか。

(お前に「死」をもたらす者として、俺を選んだのか? アレルヤ)
 
 ロックオンの腕の中で、鍛えられた胸筋が規則正しく上下している。ここにいるのは、金と銀灰の瞳

をもつ不思議な生き物。生きたいのか死にたいのか、その狭間でもがいている。
 
 青白い月の光の中で見た瞳が、忘れられなかった。穏やかな昼間の笑顔とはまるで別の、ロックオン

が知らない光を放っていた。そして、金の瞳。
 
 それを知っても、アレルヤを手放す気にはならなかった。閉じられた瞼の薄い皮膚に唇を寄せる。
 
 約束することなどできない。明日の生命の保証などないのはお互い様だ。

(束の間の愛と死。俺がお前に与えられるのはそれだけだ)
 
 窓の外は、まだ暗い。しかし、月はとうに沈み、星の光は薄れてしまっているだろう。
 
 ロックオンは、アレルヤを抱いたまま、静かに夜の明けるのを待った。


>了